指輪からブレスレットへ

私が23才の時、母にプレゼントした
小さなルビーと小さなダイヤの指輪。

当時、お給料が14万円くらいだったので、
小さな石の物しかプレゼント出来なかったんですね。

母はこの小さな石の指輪を32年間、
ずっと付けていてくれました。
母が亡くなり、指輪が私の元へ帰ってきました。

毎日常に付けていられるように、
ブレスレットに変えました。
リフォーム屋さん、こんな小さな石なのに
とても丁寧に作ってくれました。

ブレスレットに目をやり、つい、
お母さん、と呼びかけてしまいます。

京都は母が子どもの頃に住んでいた街。
またオフシーズンになったら一緒に来ます。

この写真は私のお宮参りかな。

ぶれぶれ、撮ったのは一緒にいたおばあちゃんのようです。

母に抱かれた赤ちゃんの私と隣には父。

生まれてから母が息を引き取った今年の1月3日まで、ずっと、常に、一緒にいた時間も、独立して離れて過ごした時間も、ずっとずっと常に有り余るたくさんの愛情を与えてくれました。

強くて優しくて頼りになって、世界一の母でした。

最期の時、お母さん、大好きだよ、お母さんは世界一のお母さんだよ、母を抱き抱えて言うと、ありがとう、ありがとう、と2度、消え入りそうな声で応えてくれました。

私がありがとう、と言うべきだったのだろうけど、最期みたいで言えませんでした。

母にお礼を言わせて逝かせてしまった。

最期まで与えてもらうばっかり、親不孝な娘です。

母はこのブログをいつも見てくれていました。

あの会員さん、すごく変わったわね、カッコよくなったね、綺麗になったね、すごいわね、いつもそう言っていました。

母が闘病した1年間、日曜日と祝日だけ母の所へ行き、平日は母のところへ行かず仕事をしていました。

日曜日しか来れなくてごめんね、と言うと、ううん、会員さんを大事にしてね、と言っていました。

母の遺言でもありますね。

これからも会員の皆様を精一杯サポートしていきます。

四十九日法要、納骨も無事に終わり、今頃天国でおばあちゃん、おじいちゃんと一緒にこのブログを読んでいてくれるかな。

偉大なお母さん、あなたの娘に生まれて本当に幸せでした。

ありがとう。